ニギニギ・イラスト&カラーセラピー・タオライアー 
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何も起きてない。
acim 6月びぼ。






6月はたくさん差し出される日々であったなぁ。

とかいいつつ気づけばもう7月で

さいきんは、
ずっとドビー化現象の赦し祭り開催中だった。


ドビーといえば、今までは、
家に引きこもりがち(主に冬な。)なだけに

特に外で何も起きていないのに、
ひたすら自己憎悪にみまわれる、というパターンで

それはそれで、

『本当に、平安か否かの原因は外ではなく、
 自分の中に「元々、常に」あるものが原因なんだな』


ということがよく解るレッスンだった。


そこにある恐怖や罪悪感は、
個人の知覚としては想像を絶するものなだけに、

『これは全人類共通の「一者の自我」の、
 ウジャリ豆存続システム』

なのだなあ、と解ってくる。

(これは兄さん(聖霊)と共に見るからこそ可能なことで、
フタの開き具合は、自分の聖霊への信頼の度合いと、導きによる。
その時、見ることが出来るぶんだけ
受け容れられるギリギリのとこまで開いてくれるのだ。
ありがたいことです。。
。。。ギリギリのとこまで!ってとこが、ドSだけど。。←自我の声








でもやはり、春と共にというか

活動に動きが出てくるにつれ

ちゃんと(?)外側に投影し、

そしてドビーになる、というレッスンがたくさん。

ありがたいことだ。。。。(ヨロリ








ドビーになるということは

壁にガンガン頭を打ち付けて

「ドビーめが!!」

「ドビーは悪い子!!」


って泣き叫ぶ、ってことだけど





ちなみにもしそれが、


「あいつめー!!」

「あいつが悪い!!」


って泣き叫んでいても、まったく同じこと。








さいきんずっと

壁に頭を打ち付けていて

額にすーっと流血しながら暮らしていたけれど





(起きてくるシナリオを、

自我に誘導されるがまま、

根底の罪悪感を強化する為に使っている。)






ということは、頭では解っているのだけど、、、



兄さんに渡しても渡しても

ぜんぜん上滑りするだけで




助けて兄さん、と言って静かにすると

兄さんは「よく見なさい」というだけ。



ひたすらハートを見るわけです。

ハートの中にあるものを、

兄さんと一緒に、包み隠さず見る。



そうするともう、アカラサマに、

「いやだこれは絶対に渡さないぞ!!」


って頑張ってる自分が確かにいる、と解ってしまう。

それも手放す。



今回は、いくらやってもキリがなく





最終的には、

奥の奥からすごいの出てきました。

なんかこう、、、、

エイリアンみたいな〜悪魔みたいな〜、

コア(根底罪悪感)をガシッと掴んで離さない

とんでもないものが。ハートにいて。

だから最初に感じていたアレコレ、頭で悩んでたグルグル、


アレが〜〜コレが〜〜 なんて

ほんの目くらましでしか無いんだろうね。

このあたりはセルフヒプノ状態というか、

なんというかそういうビジョンとして視ているものだけれど

一者の自我のやる気をみた、と思った。。。(ブルブル

まぁ、もっと違う段階となれば、

出てくるのもこんなもんじゃないビジュアルしていそうだけど

(><)



「それ」に対して、

何をしてもダメだったので


それで、ああそうか、と。


私ごと渡して、取り消ししてもらえばいいわけです。

思考が、感情が、知覚が、という部分だけではなく

この肉体である『私』こそが、

分離の思考(幻想)そのものなんだから。




『私』まるごと、明け渡す。捧げる。

トリケシしてもらう。

そういうやり方に、自然に変わっていきました。





しっかり赦したあとは、

パタパタパタ。。!と

黒が勝ちそうだったオセロ盤が、

一気に白に変わってくように

不思議と一瞬で

すべてが光に包まれて

すべてに感謝が沸いてくる。

すべての兄弟姉妹が聖霊で、

完璧に導かれていることがありがたく、


その瞬間が奇跡そのもの。



















きのう、なんとなくテキストをパラパラしていて、






しみじみ、思ったのだけど




「起きていない」

「肉体じゃない」






この言葉、本当にコレに尽きるのだなあ。





この言葉は、

あまりにも自我には受け容れられないだけに

脳が言葉を中に入れようとしない、っていうか。。






だから、時には、


口にして(音にして)いても

真理の光を全く消す事が可能な言葉。





目を閉じて、胸に手を当てて、

静かに、ゆっくり、ていねいに、

自分のハートに教えてあげるように

祈るように、真剣に言うことが 本当に大切。








「起きてない」

「私は肉体ではない」





この言葉に正面からしっかり向き合うことだ。


何度でもビビるし感動するけれど、

J兄さんはガッチガチのガチで

私たちにコレを言ってくれてるのだ。

そして そこにこそ救いがある。

ここをスルーしていたら、

ウジャリ豆の中で永遠にグルグルすることになる。

赦しをしているつもりなのに、

逆にウジャリ豆の強化してることになる。







(もし兄さんが、いっしょになって

『こりゃ大問題だねえ』『大変な事になったねえ』とか

言い出したら、もーほんとに救いが無い!)






「起きてない」



真っ正面からその言葉と向き合って、

「起きてないなら、罪はあり得ない」ということを思い出す。

シナリオは既に完結して終わっているし、

そもそもシナリオ自体が幻で、起きていない。

だからいつも「問題は既に解決済み」だ。と兄さんは言う。




「起きてない」


真っ正面からその言葉と向き合ってみたとき、

そこで初めて、

視点がグルリと反転する。


外側の何か、に向けられていた感情の矢印が、

ぐるっと自分のハートを指し示す瞬間。




「起きてない、肉体じゃない」という言葉に、

「どこか逃げのようなものを感じてしまう」なら、

それはJの教える「赦し」とは全く違う事をしている。

逃げるどころか〜〜 眠りこんで現実と格闘バトルする方が、

よほど楽だし、逃げだ、、とよく思うし(涙


逃げずに、内側にあるもの全てをしっかりと見る。

必ずしも全てを見れないとしても
「少しの意欲」でいい、って兄さんは言ってくれる。

恐怖や怒りから手をはなして、兄さんへ手を伸ばす意欲。











「起きてない」なんて到底思えない。

バリバリ起きてる、起きまくってるようにみえる。

辛い。苦しい。泣けてくる。




それでいい。

「起きてない、って思わなくちゃ!」と頑張る必要がない。

それでは単なる抑圧で、それこそ 逃げ になってしまう。

頑張るな、一歩下がって何もするな、と言われているのに

「頑張ってそう思うことにしよう!」では意味が無い。




元々、

「私には何もわからない」「私は何も知らない」のだ!





起きてないんですよね、

ってことは、罪なんてあり得ないんですよね、

平安でしかないってことだよね、

でも 私には それが全然わかりません、

わかんないってことは、

なんか間違っちゃってますよね、

それすらわからないんです。

どうか、

本当のことを、わたしに教えて下さい。

わたしは、そっちを選びたいのです。







あとは全部、兄さんに渡す。

神聖なる祭壇に捧げてしまう。


静かにして、

ただただ ハートを見ている。

そこにあるのは、

たとえ「苦しさ」を感じているのだとしても、

本当には、感じているそれは、

それは「神の愛」なのだ。



神からの、


愛しているよ、の声 なのだ。













ぐぐっと基本に戻って再確認の日々、

7月はまだまだコレから。

明日は今日よりも1秒でも多く、

兄さんの手を離さずにいられますように。。。☆



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夏至/思考停止




夏至の夜、

世界妖精day♪♪♬







プロジェクトB、炎の集い開催!!!





ということで、

焚き火を囲む仲間たち。



今年はなぜか、春先からずうううっと、

焚き火に飢えていたので(どんなだ)

やっと実現出来てほんと嬉しかった。



 

夏至の夜らしく、焚き火には音楽。

なんと

とある すばらしいアーティストさんをお呼びして、

ライブが!PB的ライブが!

(コーフン)



ほんと素敵な夜でした。。。

(ウットリ)








すごいよねー。

まさか焚き火を囲んでライブが実現するとは。

PBがーるのひとりが、ある日 アーティストさんに出逢って

ピキピキーン☆ みんなにも聴かせたいー!って思ってくれた、

その一瞬の閃光!? トキメキ、インスピレーションにより実現したのです。



アーティストさんに連絡をとって、出演交渉をして、

段取りをして、看板も作って、お迎えにいって



すごいよねー。(二回目)

行動力がすごい、、のは知っていたし、もちろんなのだけど、


間に思考を挟まずノンストップで動くと

こんなにすごい展開になるのだ、と。。。

学ばせてもらいました。

私は特にほら、

「こうしたら絶対おもしろいよねー!!!」で終わりがちだったり、

実際に動くのが2年後だったり、するもんですから。笑











****













聖霊の声を聴く、ということについて












「聖霊にすべてお任せする」

「自分でやらない」



この、
一瞬だけ(楽ちんだなオイ!)って思えてしまう、

最大テーマですが。









マイケル先輩って、生き方がコース的。


聖霊に導かれるまま、全託したまま

それは文字通り『神の使者』って事なんだけど


そのように動いているんだろなあー。と思う。





それってどういうことかな?と考えてみると、





それは、


それはさあ。







『聖霊の声を聴く』という前に、

『自我の声をひとつも採用しない』
って事なんだろうなぁ。












。。。。。。


当たり前じゃねーか、って思ったでしょう〜

私も今 書いててそう思ったけど〜汗




でも、わたしにとっては、何だか

(ハッ!そうか、そりゃそうだ!!!)と 改めて目からウロコがハラリ。










マイケル先輩は、

楽曲はすべて神からの贈り物で、完全型で届くそれを

この世界に現すため、鬼完璧主義者な訳だけど、

そのヒラメキ、インスピレーションを形にするとき



例えば

「つかれた」「もうねむい」「だるい」「めんどい」




あとなんだろ

「こんぐらいでいっか」「どう思われるかな」「こうした方がウケるかな」

「アレが」「ソレが」「こうだから」「こうじゃないから」

「明日は雨だから」「今日は曇りだから」「お昼はパスタだったから」



とかさ。とかとか。



そういう、自我の声に耳を貸さない。

そんな訓練が出来ていた筈でR。

(実際、意識の使い方を独学で学び実践している先輩。)

(先輩の読書量ハンパねぇ)



だからこそ、



ホテルの床が汗で一面水たまりになるほど

ダンスの練習もするし、




TVを眺めるジャクソン一家に対して

「どーしてそんなムダな時間を!?」的なお説教するほど、笑

作曲に没頭していたり


妥協なく理想を貫けたり




するんだろう。


だからこそ、あのパフォーマンスなんだろう。





先輩は 

ステージでは神に触れる 

それは観客もそうなんだよ、
と言うけれど、

ツアーDVDを観ると本当にそうだと解る。教会のようだし、儀式のようだし、

観客の表情を観るだけで泣けてくる。















天才って、

ビックリするほど努力をしているでしょう。


それは、「自我の声に耳を貸さないから」なんだろうな。








怠惰も、恐れも、不安も、ありとあらゆる言い訳は、

全部 思考で、本質から目をそらす為にある。




 







棟方志功の作品展に行った。


(話が飛び過ぎ)








棟方志功も、マイケルも、

自我(個性)がめっちゃ強いよね。

だけど作品を知れば、

聖霊と共に在る、ということがすぐわかる。


これはどういうことだろう。



つまりこういうことなんだろう。


その強くデカイ自我(個性)が、

天才となる。

天才は必ず表現の中で神と触れ合う。


そー。

神と触れ合う瞬間がある。



だからこそ、愚直にそこへ一直線で

だからこそ、自我の声など聴こえなくなるのかもしれない。

それは、 

それが、

信念とか 信仰心って 言われるもの、なのかもしれない。




もし 強い個性と才能の奥に、信仰心がなければ、

カリスマ的ではあるかもしれないが、

単なるエゴイストであって、

その作品に、多くの人を救うような、祈りや愛や行為は、

出てこないんじゃないかな。















聖霊にお任せする、

自分では何もしない、って

簡単なようで 実際には

「で?どうすれば?」みたいに思えることがあるけれど




それは

自我の声に耳を貸さない、

頭に浮かぶ思考は完全却下、兄さんに直行



ただそれだけのこと。




ものすごい当たり前のことを、

ダラダラ書いてる気がするけど 笑




わたしたちは、ついつい、

右手は自我の手をとり 思考を大音量で再生させて

左手で聖霊の手を掴もうと「がんばって」いたりするものだ。






24時間うるさい思考を全て兄さんに預けて

思考を止めたとき

その静けさの中にいるときに、


初めて解ることがある。

自動的に「動かされている」ような自分を、


その一瞬はパーフェクトで、

それ、がやってくるときは

いつも圧倒的な既視感の中にいる。

 


















*********












わたしは音を使うから、





音で触れ合うのが好きだ。





声もそう。

裸の声で重なりあえたら、それは恍惚そのもの。








音になるとき、静かになる。


静かになると、音は空間にとけて、


とけた世界 丸ごとになる。

静かだけど爆発しそうなハートの歓喜を、

隣に立つ友が全く同じそれを共有している、

そのことが、何も言わなくてもわかる。

そこにはもう、境界がないから。








イエスの名において集うとき、

イエスは必ずそこに一緒にいて下さるのだそうだ。



別に 言葉にして イエスの名において集った訳ではないけれど.....

あの時、確かに、

兄さんがいてくださるのを感じた。



それは私の中にも、友の中にも、目に映る全ての中にも。

兄弟姉妹の中に確かにキリストを観た

それこそが、奇跡だと、兄さんは言う。











思考ってほんと、いらないなぁ。。。



焚き火ライブといい、

音(声)がひとつになって 静けさに起きる奇跡といい、

思考しない自動モードの威力を思い知る6月。

この「思い知る」経験が、信頼に繋がっていくんだな。

ますます深まっていけますように。。。☆












明日はまた、区切りの日。

明日もブログ書けるかなぁ。

michaelありがとう。

この人生で、1ミリでもあなたに近づけますように。








思考してないから!?!? 笑

通常の3割増しで支離滅裂な日記。。

最後まで読んでくれてありがとうー


love!!!

夏至/無抵抗の音


今年の夏至はすごくスペシャルでした。




イベントに参加していたのだけど



そこに


「みんなで座禅」ということで

住職さまもいらっしゃり




少し離れた場所で
ティンシャを鳴らしていた私たち


ティンシャの音を聴いた住職さまが

ふいにニコニコ

こちらにやってきて

お話して下さったひとこと。






「オーム、とは

 本来は『無抵抗』という意味なんだよ」





もう、

これを聴けただけで、

此処に来る意味が完結したかと思うほど感動。

住職さまという現れをとった、聖霊の声、だったなぁ。













オーム音、というのは

宇宙根源の音と言われているマントラ。




倍音というのは全て、最終的にはオーム音になります。

(私は 消える音の中に、高音の歌が聴こえる事が多いけど)

住職さまも、その話をして下さっていたのですが

お話の中でも「オームの意味は『無抵抗』」、そこだけが

まるでエコーのように心に鮮やかに響いたことでした。












わたしは
トーニングしていても、

あまりオーム音って出すことがなかったんだよね。

@@





それが、

今月に入ってから
(acimのリトリから戻ってから、)

朝のトーニングで、

おー、ほぉー、みたいな

自然と低音を出すようになっていて

。。グランディングと浄化の為に聖霊がそうしてくれたのだと思うのですが)




更に


五井先生の著書を読み返してたら


「清めの前に必ず大声でオームと長く引っ張ってむすぶ
降神というか、あるいは完全を現す気合いか、
自然にそんな唱え方をした」

って書いてあるのが目について、

へー。って





ほいで、
最近はずっと「オーム」でトーニングしてたのです。



リトリ以降はほんと、

降参、完全降参、信頼、それしかないんだなぁー、、、って

しみじみと、しみじみっていて


トーニングしているうちに、

トーニングって、声と共に、自分の全てを神さまに預けてしまうことなんだな。

不要なもの。。感情、思考、全て。。作出した幻想を、

お返しする(=明け渡す)ことなんだなー。

そして、

ただ声を出す。自分が鳴る。それを聴く。というのは

静かにする、ということで。

『聖霊の声に耳を傾ける』ということそのものなんだな。

源に還る祈りそのもの。





、、そんな事を改めて感じていました。

弦の響きも、トーニングも、

原初は「神への祈り」「神との繋がり」そのためにあった。

。。と、自分でも何度もお客さまにお話していたことなのに

改めて、深く実感して目からウロコ。

(そんなことばかり。笑)








その流れからの、

夏至。


住職さまが






「オーム、とは

 本来は『無抵抗』という意味なんだよ」





って言うじゃないですかー。




もうほんと、降参ですー。


あぶー。













*****












夏至ということで

今後半年の指針として引いたカードは




「Love Heals Fear/愛は恐れを癒します」







レッスン続くかんね!がんばりや!


って感じだろうな。汗







愛か、恐れか。

ほんと 常に、毎瞬、この2択。

2択しかない。



自我の誘う「罪悪の魅力」と踊るか、

イエス兄さんの手をとって踊るか♪






恐れに見えるものは、

愛が、見えないように、

愛を、見なくてすむように、

人類みんなで かけた 膜のようなもの。

個性じゃない。それは本来の自分とは全く関係が無い。)

いくら頑張ってみても、あれが、これが、と探してみても、

原因は外には無い。ひとつも無い。








その膜は『思考』で出来てる。

吹けば飛ぶ。自分で選べる。





思考は、いっくら考えたって、それは「無」なんだ。






そんな言葉が、これまた 今さらになって

「本当にそうだ」と実感するちかごろ。





最近はもう、何かを伝えようとか、どうしようとか、

そういうのが より一層無くなってきてしまいました。

何かの為に何かを、とかも無く

ほんとうにボーッとしています。

ナスがママです。

それでも、ことは起きてゆく。

兄さんと共にいれば、それが延長されてゆく。

そしてまた感謝。。




もちろん『今 出来る範囲で』って事で、

まだまだ まだまだ なんだけど!






実際、ついさっきも、

ネットで目にしたとあるものに

自我がちょっとプチショックを受けたらしく


ああでもない、こうでもない、

ああでもないが、こうでもないかも。。。。とか

色々と瞬時にグルグルしていた 笑



20分ぐらい あーでもこーでもやってから


『ハッ。あぁ、これを赦せってことか』
と気づいて笑った。


ほんとすぐ現実にして掴んでしまうんだな。

^^;;








グルグルしてないで、

そこにあるものを、ちゃんと 見る見る。

現実だ、と思っている世界から 肉体から 離れて

見る見る。ミルミル。

じぃーっ。


@@



そうすれば、

これは自我の思考システム

(『一者』の自我=人類みんなで採用している、

『寝てようぜ』『目を醒ますなんてやめとけよ』の幻想存続システム


そこからくるもので、もう要らんやつや、と気づく事が出来る。

気づけば、兄さんに渡せる。その為に、みる。






ほんと、『私』の思考なんてロクなもんじゃない。

(ロクなもんじゃねえ、ろくでなし、の

『ろく』って何? @@ )



全部、お任せするにかぎる。

















*****





五井先生は、

どうもコースと同じ純粋非二元の世界にいた方のようです。

でも、それを一般の人に言っても受け止め難いので

聖霊を守護霊や守護神、赦しの原理を「消えゆく姿」などなど

やさしい言葉で、視点を下げてお話して下さっているため、

コースのテキストが読めない!という人はもちろんだけど、

コース学習者で 理論が頭に入っていれば、

より理解が深まるのでオススメです。

youtubeに動画がたくさんあります。










つづく



たしかにきえてゆく。


差し出されまくる6月のACIM。





最近どうも、

似たようなテーマが続いていて

赦しをしていても、どうもこう、なんかこう、、、


こりゃ何かあるなぁ。

と思っていたら








今日は、ひょんなキッカケ。。。

クマさんとの、

全く別な会話の中での、何気ない彼のひと言で




わぁぁあかったぁぁあ!!

それだぁああ!!!!





ピキピキーン!
(何かが合致した音)






それで、

キッチンに立って包丁持ったまま

わんわん泣いていました。



クマさんは、おびえていました。笑












何かこう、赦しても赦しきれてない、

おかしいな、これもっと深いトコ見る必要あるな〜という、

妙〜な感じがあったといえば、あったのだけど


聖霊の導きは、とんでもない変化球でビックリです。





ポン!と唐突に、そして鮮明に、

潜在意識から上がってきたのは、




すごく小さい頃の、


『宇宙人パパが酔っぱらって暴れる』

という、光景でした。



そーなの、

『飲まなきゃ善い人』なのよ〜あのひと。笑




今では全然、落ち着いてしまったけれど、

私が小さい頃の一時期、

飲んで暴れて、、、、、、、

と 書きながら思ったけど、いや待てよ。



そんなに派手に『暴れて』などいないんだと思う。実際は。

記憶ってすごいな。事実じゃなく、感情を記憶するんだな。。




でも 小さかったから、

男の人の怒鳴り声とかすごく怖かったし

うるせえ!UFO呼べ!と叫びながら(噓ですよ)

振り回した腕がママに当たって、ママの声も可哀想で痛くて。

悲しくて悲しくて。


で、同時に、幼いながらも、そんなパパに対して

酔っぱらって 言ってる事がめちゃくちゃで

エラそうに怒鳴ってるけど たいした事言ってない、

っていうかバカっぽい
、と

めちゃ醒めた気持ちも同居していたと思うな。





とにかく

そんな事を一気に思い出して、

わんわん泣いたのでした。





前半の「わんわん」は、

小さい頃の感情がそのまま溢れて。



後半の「わんわん」は、

ありがたくてありがたくて。




本当に感謝で一杯になって、

わんわん泣いていました。








その、すっかり忘れていた、

そして たとえ思い出しても、何の痛みも無い記憶というか。。

当時のパパは私より多分年下な筈で、

私は社会人になった当たりからもう、

「ぉお、父も、色々となにかしら大変だった時期なんだろうな」ってのは

解るからね。。ほんとすっかり忘れていた小さな記憶。。。。の、


その情景の中の 宇宙人パパは、









たしかに、聖霊でした。











聖霊 以外の何者でもなかった。



記憶の中の「酔っぱらう宇宙人パパ」は、

赦しと共に、




神々しく光り輝いて、姿も消えてしまった。




もぅ、感謝しかないです。

わんわん泣くしかない。












(こんな事での癒しが今さら起きるとはな!)

なんて、最初は一瞬思ったけれど、ちがう。





もっと、ずっと以前の私に今日の事が起きたら、


傷ついたインナーチャイルド、として

「怖かったね、でももう大丈夫だよ」と

幼い私を抱きしめてあげたりしたかな。



「怖かったパパ」も理解してあげて、

その場に光を送って癒したかもしれない。









でも、それだと、



幼い私は

傷つけられる事が可能な者」

「傷ついた者」

宇宙人パパは

「傷つけた者。本当は優しくていい人だけどね!
パパにも色々あったね!」
な人、のまま。

分離したまま。

いや、分離を強化しただけ。

「あの時、あなたは確かにヒドイ事をしたけれど、

私はそれを許すよ。すべて終わったこと。大丈夫。」





これじゃあ、

終わらない。終わっていかない。

結局、すべての「罪(感)」は「実在」させたまま、

ぬるりと温存され続けるだけなんだ。



瓶のフタをナデナデして癒しただけ。

瓶の中身(罪感)は「在る」事になったまま。

そしていつまでも隠しておける。

(隠すからこそ、『在る』と錯覚し続けられる=自我のシステムは温存され続ける)










今だから、

完全に、パパは聖霊だった、とわかる。

神々しい光にしか見えない。



記憶の情景も、

完全に「小芝居」でしか無かったのだと解る。









「赦す」からこそ、



誰も傷ついていないし、

誰も「色々大変」でもないし、傷つけてもいない。

何も、起きていない。


そもそも、一者しかいなかった。


そういう理解が起きる。





それで、

そこで上がってきた感情。。。

私と兄弟の「助けを求める叫び声」を、

神さまへ返す事が出来る。

それは、本当は 神の愛 だったのだから。










宇宙人パパが若かりし頃、

酔っぱらって「てやんでい!」って一暴れして、

そこからウン十年後の今日。



「確かに聖霊だった」「確かに何も起きていなかった」

完全に終わっていける。って

私がそう理解して、

感謝と降参がまた少し深まりました。

ありがとうございます!
。。。。って


。。。あの幼き胸を痛めた夜は、、、、

その為に起きたシナリオだったとしたら、

その為の「小芝居」だったとしたら、、、


聖霊ぱねえ、、、、!! 汗

もー

ぜんぜん予測つかねぇ!!!!

(つくわけないし!!!)







そうなるとほんと、

今起きてくるシナリオだって、

私に意味など解る筈ない。

良い、悪いの判断だって出来る筈がない。

「時間」も無い。肉体も無い。





ほんっっとそうなんだなーーー。







本当に、私たちには

何が本当の幸いかなんて何も解らない。

一歩下がって、お任せする以外にやれること無い。


ていうか、全力で一歩下がる決意!なんだよなぁ。

ハッと気づくとすぐ前に出てるからねー。。










IMG_2027_convert_20160615235347.jpg

 
Oh Happy Day!!




ACIMの合宿から帰宅して、

久々、開いたFBで見たもの。

久々、OH HAPPY DAY



なつかしい。

しかもタイミング完璧過ぎ。泣けました。

兄さんありがとう。











なんて幸せな日!

Jが私を洗ってくれた


頼れる兄さんが

私を洗い清めてくれた

この罪と罪悪感を

「そんなの無いんだよ」って

洗い流してくれた

スッキリと、ピカピカに。



何度でも曇る私たちを

何度でも洗ってくれる

兄さんが、いつだって洗ってくれるんだ

だから大丈夫





Jが教えてくれる

正しく見ること、戦わないこと、真の祈り

歓んで 生きること



毎日、毎日、

そう 毎日いつでも!

なんて幸せな日!



毎日、毎日、

そう 毎日いつでも!

なんて幸せな日!






注:もちろん意訳です。笑
正しく知りたい方はぐぐぐっとググってね!









when Jesus washed

じーざすうぉっしゅ、という響きって

なんだかブクブクと泡を立てて洗ってもらうような

心地いい感じがする

^^





いつだって毎日、どこででも、どんなときでも、

J兄さんが洗い清めてくれる。

なんて幸せなんだろう。


それでも私たちは、すぐに

そのこと忘れちゃって、

罪悪感とダンスしてしまう、脱げない赤い靴を履いたみたいに。


それでも兄さんは、

「それでもええんやで。」って

大丈夫やで。って、

いつでも、ピカピカに洗ってくれる。




なんて幸せなんだろ!







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